「ゲート前の絆」

 どういった風の吹きまわしか。多分、カミさんの気紛れだろう。それは間違いない。こちらは一向 に変わらない。何一つ変わりようがない。ただ刹那的に日々をやり過ごし続けただけのろくでなしだ 。進歩や成長の形跡など微塵もないと云うのに。別居生活丸2年。疑心暗鬼に陥るのも無理はない。 16歳になる一人娘の誕生日祝いに誘われた。予期せぬ突然の申し出。いや、これにはきっと、何かの 罠が待ち構えているに違いない。約束の日はまだ一ヶ月も先の事だ。その間にまた突拍子もないヘマを やらかし挽回した信頼とせっかくのチャンスを台無しにしてしまうのではないかと。夜毎、日本酒を煽る ように呑りながら、そんな切迫した衝動に駆られ身悶えした。来るべき日を待ち侘びる感涙の想いに打 ち震えながらも・・・。

 そこは巷では“ねずみぃらんど”と揶揄され、とてもダサイ場所でそこに行く事は恥じるべき行為 らしい。若い仕事仲間達が「そんなところに行くのか」と嘲笑し、行き着けの酒場の店主までもが同 調し「似合わない」と酷評した。 彼らは挙って「どんな服を着て行くのか」「やっぱり鼠の耳帽子 を被るのか」と執拗に茶化した。その耳障りなジョークに合わせてやっても構わなかったが、大人げ なく挑発に乗じた。この際、断っておく。チャリンコ・ボーイズや花見見物やライン下りに、カンパ を募り休日に呑み仲間同士で、冷えたビア樽抱えてワンボックスに相乗りし出向くような手合いにダ ンディズムを教えて戴く筋合いは毛頭ない。ジェット・コースターに何の躊躇もなく乗れて心から愉し めるような男が果たして本当に存在するのだろうか。あれは勇気を振り絞り断腸の思いを隠しながら、 さりげなく乗るもの。物事に“こだわらない”と云う振る舞いこそが“最高のこだわり”ではないか 。時には“こだわらない”と云う“こだわり”を持ちたいものだ。それが紳士の振る舞いと云うものだ はなかろうか。屁理屈だった。完璧な。負け惜しみも甚だしい。愚にも就かない御託を宣い他愛もな い事にムキになっている己も如何なものか。とは思うが。

 来るべき日はやってきた。
 待ち合わせ場所に約束の時刻よりもきっかり一時間も早く到着したのは日常の習性からか職業柄か。 何れにせよ下見に来たかった訳ではなかった。
 生成りのざっくりとした厚手の毛糸で編み込まれ、焦げ茶色のトナカイ柄が刺繍されたカウチン・ セーターを着込み、焦げ茶色のマフラーを無造作に巻き付け、淡いベージュ色のコーデェロイ・ジー ンズを穿き、いつものブーツを履き、いつものサングラスは外せなかった。いつもの骨董鞄も手放せ なかった。ゲート前の喫煙所脇で御機嫌なポーズを構え灼銅色に輝くミッキー・マウス像の真下に 佇み確かな違和感を満喫しながらモノレールの改札口から洪水のように溢れ高波のように押し寄せて くる観光客の群れをぼんやりと眺めていた。お似合いな群れは一様に飛び跳ねながら小躍りしてい る。本当に楽しそうだ。だが、異様な空気が充満し澱んでいる。ここは“楽園”かもしれないが “失楽園”でもある。皆、病んでいる。質の悪いペスト菌に感染されている。狂っているような・・・ あの鼠の馬鹿踊りは見苦しい。御免被る。断固として“舞浜に死す”事だけは避けたい。どうせ死す なら“ベニスに死す”道を選びたい。

 喫煙所の回りには群れから外れた居心地の悪そうな同種類が集ったのは必然的な成り行きだろうか。 明らかな場違いを痛感しているのか悲し気でもあった。同業の友人が語った小話を思い出した。縁故 の関係にある九州地方辺りの老舗ヤクザの組長から身辺警護を頼まれたらしい。長老の親分は意を決 した一世一代の出入りを目前に控えた折り、組の若い衆とその家族を“ねずみぃらんど”に連れて行 きたかったのだ。どうしても・・・何が何でも、行きたかったらしい。素性が知れないように、御一 行は剃り込みの入った角刈りやパンチパーマの頭髪を目深に被ったキャップに覆い隠しパステル・ト ーンのセーターにジーンズとスニーカーと云う爽やかなファッションに身を包み、揃って満面の笑顔 を湛えながらアトラクションの行列に並んだ。装いは完璧に取り繕う事が出来たと彼らは安堵していた 。だが、長年に渡って培わられた眉間の縦皺と鋭い眼光だけは拭い去れる筈もなかった。その光景は格 別、異質な雰囲気を醸し出していた云う。心温まる小話だ。“ねずみぃらんど”とはそんな場所なのだ った。

 カミさんと娘が現われた。案の定、指定して来た待ち合わせ時間からきっかり一時間遅れて。モノレー ルの改札口方面から人込みにのまれるようにしてゲート前を目指し近づいてきた。こちらを認めると母 娘は小さく手を振った。
 歩み寄るとカミさんは優しく表情を和らげ「久しぶり・・・」そう云うと遅れたことを詫びながら 待ったかと尋ねた。「いや、全然」素っ気なく返答した。その脇で娘が灰皿に視線を落とし溜まった吸 い殻を選り分けていた。それから満足げに頷きながら「二時間待ちだね」と微笑んだ。「探偵か。お前は」 「探偵の娘だよ」その返し言葉にぐっと熱いものが込み上げてきたが、慌ててそっぽを向いて動揺を誤魔 化した。サングラスは外せない・・・。視線を遠い水平線の彼方に向けた。カモメが飛んでいた。
 「さあ、行くぞ・・・」揃ってゲートへ向かった。